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はじめての方へ

私たち日本人にとって、キリスト教会は一生に一度行くか、行かないかくらいの場所でしょうか。教会に行ってみたいけど、どんな話をしているのか、どんな人たちがいるのか不安になるものです。

​でも、クリスチャンだからといって、何か「特別な人たち」であるわけではありません。失敗もするし、弱さもあります。あえていうなら、教会とは神様の愛を知り、その愛に何かしらこたえたいと思っている人たちの集まり、かもしれません。

​緊張と不安を胸に、教会の玄関をくぐってみませんか。

​どうして私が信じたのか

はじめまして。ほしのまちキリスト教会の牧師をしています加藤 信洋と申します。

私は二十歳になるまで、イエス・キリストや教会とはまったく無縁の生活を送っていました。そんな私が、どうしてキリストを信じたのか、ここでお話しさせてください。

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【バイト先で】

私が信仰をもったのは、大学1年生が修了した春休みのことでした。遊びの軍資金を得るために、市場でバイトを始めたのがきっかけでした。そこに、クリスチャンの方がいたのです。

ある日、その方は私に一枚のチラシを渡してくれました。そのチラシには教会の案内と聖書のお話が書かれていました。「イエス・キリストはあなたのために十字架にかかった。」これが、そのチラシで印象に残っていることでした。それは私にとって今まで聞いたことがなく、新鮮な感じがしました。

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そして、教会に足を運び、そのクリスチャンの方と1対1で聖書を学ぶ約束をしました。

【聖書を学ぶ中で】

最初の学びの時、クリスチャンの方は聖書を読み、こう説明してくれました。全ての人は天と地をつくられた神さまの前に罪人であること。何より、まことの神さまを知らずに生きることが、罪であること。そして、私も罪人の一人であること。そして、罪人は死後に永遠の地獄で罪のさばきを受けなければならないこと。

その時の私は、神さまや聖書についてまったく知りませんでした。でも、もし神さまがおられるなら、確かに聖書が言う通り自分は罪人であるな、と思いました。

学びの後半にさしかかり、今度はイエス・キリストの十字架の意味について学びました。あのチラシに書かれていた内容が思い出されました。

イエス・キリストは、神であるのに人となられ、私が本来受けなければならなかった罪の罰のために、身代わりに十字架で死んでくださったこと。そして、三日目に墓の中から復活されたこと。だれでも、キリストを信じれば罪がゆるされ、地獄から救われて永遠のいのちをいただくことができること…。

【あるひとことが】

そして、クリスチャンの方はこう続けました。

「神さまは加藤さんがキリストを信じて救われるのを、今も忍耐をもって待っておられるのですよ。」

​「神さまが忍耐して待っておられる…」と聞いた時、私は神さまの愛がとてつもなく大きいのだと分かったような気がしました。罪のない神のひとり子イエス・キリストは、私のために十字架で死なれた。なのに私はそれさえ知らずに今生きている…私は今すぐ罪をさばかれても当然の罪人。でも、そんな私を、「忍耐をもって」待っておられる神さまがいらっしゃる。

 

キリストの十字架と罪人である自分、そして神さまのとてつもなく大きな愛、この3つが私のなかで結びついたのだと思います。「キリストを信じますか?」とたずねられた私は、ただただ「はい、信じます」と答えました。その日、神さまの前に私の罪はすべてゆるされ、私は救われたのです。

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以上が、私がイエス・キリストを信じたいきさつです。

以後20年以上、私はイエスさまに信頼しています。

主イエス・キリストのうちに、私はこの世では得られない価値と平安と喜びを見いだしています。この方に勝るものはありません

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あなたにお伝えしたいこと】

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

あなたに、ぜひお伝えしたいことが2つあります。

それは、あなたが神さまに愛されているということと、あなたは救われる必要があるということです。

キリストはあなたのために、十字架でいのちを捨ててくださったのですから。

​「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥なだめのささげ物としての御子みこを遣わされました。ここに愛があるのです。」 ‐聖書‐

​©ほしのまちキリスト教会

当教会では『聖書 新改訳2017』©2017 新日本聖書刊行会を使用しています。

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