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函館市鍛治にあるキリスト教会です
ブログ「ののはな」
野に咲く一輪の花にも、神さまの恵みが注がれています。ささいな出来事から、神さまに思いを巡らせ、ゆる〜く投稿してみたいと思います。


教会の花壇①
ご無沙汰しています。牧師のKです。 教会花壇の雪が完全にとけました。 冬の間、気になっていたのが、昨年10月ごろに植えた植物たち。 近くのホームセンターで売れ残って安売りしていた、アルメリア3株とヒューケラ2株を植えたんです(ともに植物の名前)。売れ残りだったので、苗の状態はよくありませんでした。 しかも、植え付け2週間後くらいに、カラスにほじくられました。 その時の被害はというと、アルメリアはその場で天地逆にされていたので、そのまま植え直しました。 ヒューケラのほうは、2株とも葉っぱをむしりとられ、ほじくり出されていました。 1株は根っこまでばらばらだったので、仕方なくあきらめました。 でも、もう1株はまだ根っこは残っていたので、その場に植え直しました。 その後、カラスにやられることなく積雪期を迎えました。 雪かきした雪は当然、花壇にも行くわけで、50センチほど積みました。 あのカラスにやられにやられたヒューケラにも容赦無く積みました。 で、雪がとけて様子を見ると、、、なんと。 ヒューケラは雪解けとほぼ同時に、またカラスにひっくり返されていまし
2 日前


人生は…
牧師のKです。また、私ごとを徒然なるままに書かせていただきます。 人生を旅にたとえることは珍しいことではないと思います。私もそのうちの一人です。 イエスさまと私が一緒に旅している絵本のように、人生を捉えているのです。私の人生、山あり谷あり、喜びあり悲しみあり、出会いあり別れあり、思いがけない出来事あり、失敗あり、後悔あり、恥あり・・・そんなドキュメンタリー的な絵本です。(バニヤンの『天路歴程』的な感じでしょうか)。 絵本の最初は、創世記1章1節。 「はじめに神が天と地を創造された。」 この「はじめに」は、私がイエスさまと出会い、イエスさまと一緒に人生を歩み、イエスさまと一緒に永遠を楽しむために神が動き始めた「はじめに」なんだなぁ、としみじみ感じています(神学的なことはさておき)。 そして、救い主イエス・キリストがこの世に来られまでの歴史、十字架にかかられ、三日目によみがえられるところが続く。 その後に、私のいのちが母親の胎内に宿るところに続いて今に至るという感じでしょうか。 しかし、「今」より先のページを、私はめくることはできません。しかし、イエ
1月24日


あなたがいないと…
牧師のKです。 私ごとになるのですが、家内が入院して2週間ほど経った頃から、うちのおちびちゃんが寝る前にこういうことを言うようになりました。 「ママがいなくてさびしい・・・」 「あさおきてから、いままでずっとさびしかったの」 日中はいつもと変わらず、ふつうに過ごしている様子。でも、夜になると、さびしさを口にします。 おちびが神さまにお祈りし始めた時、よく「〇〇(←おちびの名前)はさびしがりやなので、ママとパパとニイちゃんがいつもいてくれるようにしてください」と祈っていたことを思い出しました。 おちびにとっても家内の入院は試練なんだなぁ・・・と考えさせられるとともに、この子にとって「ママ」の存在はそれだけ大事なんだなぁ、とあらためて気づかされました。 この出来事を通して、神さまが私たちを慕い求める思いは、この子以上なのだと深く感動させられたのです。 聖書にこのようなたとえ話があります。イエス・キリストが話されたものです。 「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つ
1月10日


イエスさまがいっしょ
牧師のKです。 2025年がもうすぐ終わろうとしています。私ごとですが、2025年の我が家の最も大きな出来事は、私の家内が緊急入院→手術となったことです。 手術は無事終わりましたが、臓器の一部を切除しなければならないほどでした。退院まで3週間ほどかかり、退院後も1年ほど不自由な生活が続く見通し。 細かいことはさておき、その時も、私がしみじみと感じたことは、「イエス様がいつもいっしょ」という安心感です。 おなかの痛みをしきりに訴える家内を前に、自分は心の中で神さまに祈りながら、家内の手をさすることしかできませんでした。家内はこのまま天に召されてしまうんではないかと、真剣に考えてしまぐらい、苦しんでいる。 でもですね。不思議と自分は冷静でいられたんです。イエスさまが家内の痛み、苦しみを知っていてくださる。夫の自分が背負えない分を、イエスさまは全部背負っていてくださる。天地万物をつくられ、今もすべてを治めておられるイエスさまが、この先のことも、ぜ〜んぶ知っていた上で、今回の出来事は起きているんだ。こういうことを思い巡らせた時、安心したんです。家内も痛み
2025年12月31日


ざんねんなきもち
牧師のKです。 先日、用がありまして100均に行きました。 お店に入ると季節もののコーナーがありまして、クリスマス(と正月)グッズが売られていました。それを見まして、あらためて、ざんねんな気持ちになりました。 もちろん、そのお店が云々というのではありません。そこで売られているクリスマスの飾りやポストカードなどを一つひとつ見ても・・・ 「キリスト」がいないんです! キリスト御降誕にちなんだ置物とかポストカードとか、そういうものはないんですね。羊飼いもいません(聖書には赤ん坊のイエス・キリストを捜しに行った羊飼いの記録があります)。他のお店でも、キリストにちなんだ商品を見ることはほとんどありません。 前からそうでしたから、驚きはしません。でも、キリスト「不在」が目で見えてしまうと、本当にざんねんな気持ちにさせられるんですね。私だけでなく、多くのクリスチャンはそう感じているんじゃないでしょうか。なにより、私たちのためにキリストをこの世に遣わされた神様が悲しんでおられるでしょう。(なぜ、神様が悲しんでおられるかを知りたい方は、教会におたずねください。).
2025年12月11日


光は闇の中に輝いている!
ほしのまちキリスト教会ブログ「ののはな」へようこそ はじめまして! ほしのまちキリスト教会の牧師Kです。 このブログでは、教会での出来事やお知らせをゆる〜く書いて行こうと思います。もちろん、投稿は不定期です。 教会名について 最初の投稿記事として・・・私たちの教会の名称について。 「 ほしのまちキリスト教会 」の「 ほしのまち 」って何かってことです。 結論から言えば、「ほしのまち」は函館のことです。 函館にお住まいの方はすぐにピンとくるはず。私たちの教会から南に約1300歩のところに、で〜んとある五稜郭。星の形している城塞跡ね。 函館はそれがある町だから、「ほしのまち」ってことなんです。(函館野外劇の劇中でも、あのエモーショナルな歌で歌われていますね) でも、キリスト教会として、それ以上の意味を勝手に込めさせてもらいました。 闇夜に輝く星のように、「 人類の希望であるキリストが輝きますように 」って意味を。 世の中、争い事や環境破壊、気候変動などの暗いニュースばかり。年齢に関係なく、人生に希望や平安が持てないという方がいます。それだけじゃなく、
2025年12月4日
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