聖書は「しかし」の書物
- 4月30日
- 読了時間: 2分
牧師のKです。
聖書の学び会で、「しかし」という言葉を含むみことばを学んでいた時、あるクリスチャンの方が、「聖書は『しかし』の書物なんですよ」、と言いました。
それを聞いて、ほんとうにその通りだなぁ、と思いました。

改めて考えてみますと・・・
人は神さまに創造された。しかし、人は神さまから離れた。
人は神さまに生かされている。しかし、人は神さまに感謝しない。
人は歴史の中で何度も神さまの恵みに触れてきた。しかし、人は神さまを忘れる。
etc...
と、まぁ人間は恵み豊かな神様に対して、「しかし」で返してきた歴史が聖書に記されています。
人は神さまから離れた。しかし、神さまは人に近づかれた。
イエス・キリストは罪なき方。しかし、私たちの罪を負って、私たちの代わりに罪の罰を受けられた。
人は自分の力では自分を滅びから救えない。しかし、人は神のひとり子イエス・キリストによって救われる。
人は生まれながらに死ぬべき者。しかし、キリストを信じる者は永遠のいのちを持っている。
人は死ぬ時、その手に何も所有していない。しかし、キリストを信じる者は、キリストとともにすべてのものを永遠に所有している。
etc...
どんなに人間が神さまにそむいても、神さまは人間を愛し、人間が神さまのもとに立ち返るのを願い続ける「しかし」の愛、恵み、あわれみもまた聖書に満ちているんですね。
そして、人は罪ゆえに永遠のさばきに向かう者。しかし、キリストによって永遠の天国へ行く者へと変えられる。それって、神さましか与えることのできない「しかし」ではないでしょうか。
「しかし」の書物、聖書。
この書物にどう私たちが向き合うかが、大事です。つまり、神のみことばとして素直に信じるか、それとも色々と言い立てて拒絶するか。これによって、私たちの永遠と人生が、良い方向に向かうか、悪い方向に向かうか分かれます。(←断定)
地上では〇〇な人生だった。しかし、永遠は・・・
聖書は言います。
しかし、主の名を呼び求める者は
みな救われる。(使徒の働き2章21節)
この書物を通して、あなたに素晴らしい「しかし」が与えられますように!
引用;『聖書 新改訳2017』©️2017 新日本聖書刊行会より



